#4 孤高のグルメ(後編)

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#4 孤高のグルメ(後編)

ああ・・・ひょっとして、揚州炒飯をお探しですか?

 良かったらご案内しましょうか。いえね、私もあの店に行く途中なんですよ・・・。

 

 揚州市は東関街(ショウシーフー)近くのこのあたりは古くからの城下町。そしてこの路地を曲がった先のほら、あそこ、あそこがお探しの揚州炒飯店。なんとも目立たない・・・ということもない入口ですが、この店は夕方には揚州っ子が集まって賑やかになるんです。さあ、着きました・・・。

中華料理店

 「・・・」

 「やあおばちゃん、揚州炒飯、いつもの」

 「・・・」

 おばちゃんは亭主とテレビドラマに夢中で、こちらに気づかないようだ。おもむろに木で出来た椅子に座る。足元で何かふにゃっとしたものに触れた、と思った瞬間、ふぎゃー、という鳴き声と共に勢い良くブチ猫が飛び出して行った。食堂にデブ猫。まあ、中国だから・・・。

 猫の悲鳴を聞いてようやく俺の存在に気づいたおばちゃんは、陶器でできたコップにカサカサのお茶っ葉を入れ、二十年は使っているであろうボロボロの魔法瓶から並々とお湯を注いで、机の上に置いた。コップの底に溜まったお茶っ葉からカテキンが滲み出ている。

 「なんにしましょ。」

 手渡された菜単(メニュー)を見る。

揚州炒飯15元(約250円)・・・

ビール5元(約90円)・・・

瓶ビールが5元(約90円)。

日本的視点から見ると僥倖っ・・・まさに僥倖っ・・・!でも中国では日常っ・・・圧倒的日常っ・・・!

 「では改めまして・・・やあおばちゃん、揚州炒飯、いつもの。あと西紅柿鶏蛋湯(トマトと卵を入れた超簡単なお手軽スープ)とビールね」。中国では炒飯にスープが鉄板だ。

 おばちゃんはザラ紙を束ねただけのメモ紙に注文を書いて、厨房の奥へと消えた。

 

 昭和の食堂のような店内を見渡す。20畳ほどの店内に番号が振ってある木の机が5つ、食材机の上には黒酢と唐辛子、やたらと直径が太い木の箸が並べてある。壁に貼ってあるメニュー表には料金を書き換えた後があった。これがインフレというものだ。

 おばちゃんが冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、机の上に置く。瓶には青い「三得利」のラベル。サントリービールだ。

 

 ぬ る い 。

 

 「このビールなんか全然冷えてないんだけど、あの冷蔵庫壊れてるんじゃないの?」

 「何言ってんだい、最初から電源なんて入れてないよ。あれはただの飲み物入れ。冷えたのなら奥にあるよ。」

 まぎらわしいよ!

しかし、これは俺が悪い。中国の場合、最初に「あのうビール冷えてますか?」「バッチリ冷えてますよ」的なやり取りがないと、普通に常温のビール瓶が出て来る。何も言わなくても店側がキンキンに冷えたビールを出してくれるのは、日本だけだ。

 それにしても中国のビールはうまい。と言うより、飲みやすい。アルコール度数が3.5%と日本より低いので、ジンジャーエール感覚で気軽に楽しめるのだ。中国のビールと言えば、青島ビールや、W杯でスポンサーを務めたこともあるハルビンビールなどが有名だが、味も良くコーラと変わらない値段で楽しめるサントリービールの知名度は非常に高い。他のビールメーカーも中国市場に参戦してはいるのだが、ここまで中国人の心をガッチリ掴んだのはサントリーだけだ。ちなみに4元と言えば日本円で約70円、日本の居酒屋で飲んだら500円取られる。今のうちに飲んでおこう・・・。

 

 程なくして厨房から「ゴーーーー」と、ガスバーナーを全開でぶっ放したような音がした。席を立って厨房を覗いてみる。店の亭主が、馬鹿でかい鉄製の中華鍋に油とご飯をぶち込み、料理番組よろしく鍋を派手に振り始めたところだった。

 日本料理には美味しい水が不可欠なように、中華料理には激しい炎が欠かせない。中国では、家のコンロからですら、凄まじい熱量の青い炎が吹き出てくるのだ。中国の家庭には、鍋を弱火にかけてコトコト煮る、なんて生ぬるい料理など存在しない。あの熱量で肉じゃがを作ろうものなら、あっという間に煮崩れしてしまうだろう。

 鉄製の鍋は熱をよく通す。亭主が料理する様は、まるで炎と戦っているかのようだ。額に汗して猛烈な勢いで鍋をかき混ぜ、炒飯を一気に皿に盛る。周○徳も陳○一も恐らく何万回と命を削って炒飯を盛り続けて来たのだろう。おばちゃんが出来たての揚州炒飯を机に運んできた。一見普通の炒飯だが、果たして・・・?

 れんげで炒飯をすくうと、お米がポロポロとこぼれる。日本の炒飯愛好家に捧げるこのパラパラっぷり!日本では、低い火力で本場のパラパラ炒飯略してパラチャーを作るべく多くの努力が払われたが、このパラパラ感を出すのは正直なところ不可能だろう。パラチャーには、料理への情熱よりも、灼熱の炎と、クッソ重い鉄の鍋を高速で振り切る体力が必要不可欠なのだ。

揚州炒飯

 

 パラチャーを口にする。米は甘くもなければモチモチもしていない。むしろ硬い。しかし、うまい!

 本物のパラチャーにはパサパサの米が欠かせない。コシヒカリよりもパールライスよりも、タイ米の方が合うのだ。味付けはシンプルに塩と中国特有の謎調味料だけだが、水分が飛びきって食材の旨味をナタネ油が逃さず包んでいる。揚州炒飯の全ての炒飯愛好家がどうしても食せなかった味が、ここではわずか15元(250円)で楽しめる。場所を変えれば希少な味も安く手軽に楽しめる。経済学だ。

炒飯に舌鼓を打つ俺の元へ、おばちゃんがスープを運んできた。運んできたんだが。

たまごスープ

でかすぎるよ!

 これを一人で飲むんかい!

 

 中国では基本複数人で食卓を囲むので、炒飯やラーメンなどを除けば料理の一つ一つが4人前くらいで出て来る。これを取り皿に分けてそれぞれに食べる訳だ。一部屋いくらのホテルといい、中国の旅はひとりもんにとって辛いものがある。配偶者がいればベストだが、絶対に友達や恋人と行くべきだ。

 あと、誰か中国の料理人に「ダシ」の概念を教えてあげた方が良いと思う。素材の味は間違いなく生きてるけど、なんというか、旨味が具に絡みついていないと言うか・・・。天下に名高い中華料理だが、スープについては日本人が貢献できる部分が多分にあるのではなかろうか。

 

 揚州炒飯を堪能し、1リットルはあったであろうスープを辛うじて飲み干し、茶色の20元札をおばちゃんに渡していたその時。俺の足元を灰色の毛玉が通り過ぎて行った。すわ、さっきのデブ猫か?いや、違う、これは!

 この店に猫が飼われている理由が、わかりましたよ。

 毛玉は店の隅っこではたと止まり、旅路の日本人を見つめていた。まどうことなきドブネズミだ。食糧事情が良いのか、まるまる太っている。とっとこ走るよハム太郎・・・いや、ドブ太郎か。ドブ太郎じゃあんまりだな。せめてネズ太郎にしよう。

 しかし、同じネズミなんだから当たり前だが、よく見るとかわいい。昔飼っていたハムスターのキャサリンを思い出す。ドブネズミもヤバイ菌さえ撒き散らさなければ、あとアホみたいに殖えなければ、結構人間に愛されたのではないだろうか。ゴキブリに通ずるものがあるかもしれない。

 

 

 外には満天の星、上海では摩天楼に遮られて見ることのできない星空が広がっている。かつて揚州人の彼女と共に歩いた石畳を、ひとり歩いてホテルへ戻る。フランス人の金持ちと結婚し、セレブと化した彼女は、今この世界のどこでどんな生活を送っているだろうか。ジャンガリアンハムスターの如く愛されるようになった彼女とは対照に、俺はドブネズミのように、タフにしぶとく食いつないでいく道を選んだ。

 それでも俺に後悔は無い。どんな人生にも、写真には写らない、美しさがあるから。