#3 孤高のグルメ(前編)

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#3 孤高のグルメ(前編)

 また、この店に来てしまったーー。

 「いらっひゃい。なんにしまひょ」

 ビニールを張っただけの屋根の下に並ぶ木製の古びた丸椅子に座ると、齢70は超えているであろうおばあちゃんが注文を取りに来た。ラーメン3.5元、ゆで卵1.5元、豆乳1元、油条(中華揚げパン)1元。占めて7元、日本円に直すと約120円だ。福岡では辛うじて替え玉ができるくらいの金額で、こちらでは腹いっぱい朝飯が食える。

 ここは江蘇省、揚州市は東関街にある老舗のラーメン屋・・・いや、ラーメン「屋」とは言えないかもしれない。何せ「屋」が無いのだ。石造りの倉庫のような建物内に厨房があり、外のスペースには木製の丸椅子とやたらぐらつく机が置いてある。ポリバケツのような鉄製の容器にはお湯がグツグツと煮立っていて、もうもうと湯気を立てている。

この店は80年代、いやそのまだ前からずっと営業していて、揚州っ子なら知らない人はいない、私はいつもここで朝ごはんを食べてたのよ。もう随分前、ここで俺と一緒に夜明けのラーメンをすすった揚州人の元カノ・・・の従姉妹はそう言っていた。揚州の中心街は最近観光地として再開発が進められ、古びた食堂や駄菓子屋は立派なレストランやお土産屋に姿を変えたが、この店だけは以前と変わらない佇まいを見せている。

 俺の名はセルジオ筑後。中華料理の知られざる真髄を求めて旅する、流れの料理人だーーというのは嘘で、うまい揚州炒飯をレポートするだけのために日本人にはおなじみ鑑真上人の故郷で知られる揚州市までやって来た、単なる 島 中 作 家 だ。

 中国と言えば中華料理、揚州と言えば揚州炒飯・・・ではあるんだが、さすがに7時半から開いているレストランは無い。という訳で、レストランが開くまでのつなぎとして、旧知のラーメン屋(?)を訪れたのだ。

 「めんはほそめんとゴンブトがありまひゅけど、しんはつばいのゴンブトのほうがおいしいからこっちにしまひょうね」

 なんか勝手にゴンブトにされた。新発売だそうだ。

 オードブルのゆで卵の皮を剥きながら、厨房で店主のおじいちゃんがラーメンの麺を茹で始めるのを尻目に、店のまわりを見渡す。厨房の石壁には、「2004年国営放送が取材に来ました!」との心ばかりの一文があった。とにかく要人や有名人とのツーショット写真を撮り仲の良さ、すなわちコネの強さをアッピールしがちな中国にしては、とても控えめな印象だ。店内ではおじいちゃんが、おばあちゃんと何やら雑談をしながらラーメンをすすっている。今はちょうど通勤ラッシュの時間だ。白い息を吐きながら、多くの人々が原チャリや電動自転車で揚州東街の石畳を走り抜けていく。

 おばあちゃんがラーメンどんぶりにザラメのような砂糖を入れ、給食が入っていそうなでかい桶からひしゃくで豆乳をすくい取り、どんぶりに並々と注いだ。「おまたへひまひた」。薬を調合する魔女よろしく豆乳どんぶりをゴマすり棒でゴーリゴーリと擦りながら、俺の前へ豆乳を持ってくる。

 「このどんぶりをそのまま飲むんですか」

 「どんぶりじゃないざんす、豆乳ボウルざんす・・・おっと、このぼうでさとうをまぜてのみなしゃれ、ほっほっほ・・・」

 上海では大コップ一杯の豆乳で3元取られることを考えると、3分の1の値段でこれだけの量が飲めるのはかなりお得だ。ゴマすり棒ですりごまよろしく底に溜まった砂糖を潰しながら、ラーメンのスープを飲むようにどんぶ・・・いや豆乳ボウルを抱えて飲む。うまい。

 上海で市販されている豆乳よりも味が濃ゆい。やはり豆乳は自家製に限る。豆乳を飲み干し、底に溶け残った砂糖が見えたとき、先程のおばあちゃんが油条とメインディッシュであるラーメンを、アルミで出来たお盆に載せて持ってきた。

 机の上に置いてあるヤバイ色をした赤唐辛子とペットボトルの容器に入った黒酢、トイレットペーパーを退けてお盆を目の前に持ってくる。黒い醤油スープにぎっしり詰まったゴンブト麺。さっそく中国おなじみの異様に太い木の箸で口に運ぶーー

 うまい。うますぎる。

 中国で今最も食されているラーメン。・・・イスラム文字で書かれた青い看板といえば、もう、お分かりですね。そう、最近日本にも進出した蘭州ラーメンだ。蘭州と言えば中国でもかなり奥地に当たり、回族の多い都市である。回族すなわちイスラム教徒の多い街で生まれたラーメンには、当然豚肉や豚の油など使われていない。豚骨ラーメンの対局にあるラーメンと言っていいだろう。作り方は簡単で、日本にはない謎の薄味スープに茹でた手延ラーメンを入れ、牛肉とネギとパクチーを申し訳程度にトッピングしてできあがり。これはこれで確かにうまいが、豚骨で育った我々としてはやはり一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 その点今まさに食わんとしている江蘇省のラーメンは、スープこそ醤油ベースだが、しっかりとコクがあって九州人も納得の出来になっている。太すぎる箸で口へ運ぶと、スープの脂身が麺によく絡みつき、ゴンブト麺をすするたびに喉の奥まで旨味が伝わってくる。牛肉のかけらやチャーシューこそ載ってないが、ただスープと麺がそこにある、それだけで十分に完成された、究極のラーメンであると言えよう。

 「この油条をラーメンにつけて食べるのよ」

 ふと従姉妹ちゃんの言葉が頭をよぎる。油条、日本の揚げパンのような塩味のする、小麦粉を練って揚げただけの簡単な朝の定番。栄養価は恐らく炭水化物と脂質以外に何もないであろうこの料理こそが、中国人民の生活と経済成長を支えたのだ。油条に能源を、青島ビールに活力を得て、彼らはついに世界の頂点に上り詰めようとしているーー。

手をべたべたにしながら、油条をスープにつけて頭からかぶりつく。カフェオレに浸したクロワッサンの如く、油条に染み込んだスープが口の中で絞り出される。懐かしい味が口いっぱいに広がり、油条の脂質がエネルギーに変わっていくのを感じた。

 意外にも、中国の食事観は、砂糖が贅沢品だった頃の日本とよく似ている。とにかく、明日を生きるエネルギーを摂取することに重点が置かれているのだ。人間の体はまずタンパク質、脂質、炭水化物が無いことには話にならない。ビタミン、ミネラル、カルシウムだけでは、どれだけ待っても血にも骨にもならないことを、中国人はよく知っている。しかしそんな中国も、最近では糖尿病や贅沢病の患者が増えてきて食事バランスの重要性が見直されている。豊かになった証拠だろう。

 眩しい日差しが差し込んできた。ぼろぼろの机の上に置かれた朝食をカラにして、俺は映画よろしく、ジーンズの後ろポケットに丸めたボロボロの5元札と一元玉を2枚テーブル置き、おばあちゃんに「ごちそうさま」と言って店を出た。両手は油でギトギトになっている。またきなひゃれ、という声が背中から聞こえた。

 

 時計は、すでに8時を回っていた。

 そして昼飯タイムの12時が過ぎ、2時、3時・・・。

 

 全然腹が減らねえ

 腹持ち良すぎるよこの朝食!炭水化物と脂質に全振りしている食事なもんだから、肉体労働でもしない限り全然腹が減らんとですよ。しかしこれこそが、中国の建国と経済成長の源となったのだ。現代中国の成り立ちを胃をもって実感したと考えると、悪くない。

 

 そんな思いを馳せつつ揚州炒飯の店に着いたのは、午後5時だった・・・。

(つづく)

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