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#10 ホンコン・シティの死闘(後編)

#10 ホンコン・シティの死闘(後編)
セルジオ筑後です。 前回の続きです。  クロームブックのブラウザが目の前で青く光っている。劉備たちが桃園で酒を飲んでいたはずが、いつのまにか呂布の大暴れシーンに変わっている。時間は午前6時12分…どうやら寝落ちしたようだ。ベッドの下には昨日食べたビッグマックの空箱が落ちている。室内を荒らされた形跡は無い。どうやら無事一晩を過ごせたようだ。  疲労困憊ビクトリア・ピークから九龍城へたどり着いた俺は、ドアが開かないようスーツケースで厳重にバリケードを築いた後、一晩中眠らない覚悟で動画サイトを見漁った。 Youtubeからビリビリ動画まで、あらゆる国の動画サイトを見れるのが香港のいいところだ。 日本から「土豆」や「優酷」を見ることはできないし、逆に中国からYoutubeやニコニコ動画を見ることもできない。香港は良くも悪くも「自由」には事欠かない場所だ。  ともあれ、こんな場所はさっさと立ち去るに限る。身支度を終えた俺は、曹操の元を去る関羽の如く部屋のカギをベッドの横に置き、特にこれといった感傷も無く部屋を後にした。隣の部屋では男が日本語で何やらしゃべっている。どうやら俺の他にも日本人が泊まっているらしい。かわいそうに、彼も怪しいインド人に騙されて、やむなく安宿に泊まっているに違いない。 同胞よ強く生きろ、 お前の部屋はカギがかかるだけまだマシだ。
アフロ系、東南アジア系のアニキ達がたむろしている。
 「スパルタンX」の怪力男に似た、アフロ系のブラザーに囲まれながらエレベーターに乗る。インド人を中心に、アフロ系、東南アジア系のアニキ達がたむろするこの建物とももうすぐお別れだ。  今日は香港から陸路で脱出して深センへ向かうつもりだ。 本当はあと数日香港に滞在する予定だったが、こんな物騒な場所に何日も泊まるつもりはない。 かと言って香港はそう簡単に宿が取れるような場所でもないし、ビクトリア・ピークをこの手に掴んだのだから、目的は達成したと言えるだろう。となると、無用の長物となった香港ドルを日本円に替えておかなければならない。  香港では、大陸と違って外貨を獲得するのにわざわざ銀行へ行く必要がない。それどころか、パスポートすら要らない。街のあちこちに両替所があり、そこで手軽に各国通貨へ両替できる仕組みになっているのだ。但し、為替レートは店によって大きく違うので、店を間違うと昨日の俺のように大損こいてしまう。 あの婆、何が1万円=680ドルじゃ!200ドルも損してしもうたわ!!  外国人が多いせいか、この九龍城にも無数の両替所がある。大抵高レートの両替所は奥まった場所にあるものだが…あったあった。
何故か店名が東京
またインド人か。そして何故か店名が東京。うちの近所にある喫茶店ロンドンみたいなものだろうか。  写真でお見せできないのが残念だが、ここの店主、ターバンヒゲにサリーという、香港リスペクトがまるで感じられない出で立ちをしている。どう見てもまともな店には見えない。しかしレートは今までざっと見てきた中で一番いい。ここはリスクを負って勝負に…。  「請給我兌換」  「イクスチェーンジ?」  「イクスチェーンジ!!!」  ダメだ、こいつにも中国語が通じない。  ほんと普段どうやって生活しているんだ? 三食カレーか? 懐にある100香港ドルの束取り出し、ターバン爺に渡す。爺は一枚ずつ丁寧に札束の枚数を数え、札束数え機にかけて枚数を確認すると、木製の机の引き出しからブロック状の何かを取り出して机の上に置いた。    一千万円じゃん。    こんな大金をおやつ感覚で机にしまっとくなよ!爺はレートを確認し、一万円札3枚と千円札2枚を手渡して、余った額をプラスチック製の10元札と変な形をしたコインで俺に返した。横には各国通貨のレート一覧が表示されている、ということは、各国の通貨が一千万円単位でこのボロ机にしまわれているということなのか。どうやって手に入れたのか分からないカネが、正当かどうか分からないレードで動いて、その利ざやで儲ける。金融大国と言うとウォール街的な場所で世界経済を動かしていると思われがちだが、現実は意外と泥臭かった。  アルマーニのスーツで身を固めたビジネスパーソンとこのインド人たちは、コインの裏表なのかも知れないな。そもそも資本主義とは一体…。両替所の横で女性がナンを焼いている。社会科学的思慮を深めながら、俺は朝の九龍城を後にした。  
駅で売られていたコーンおかゆ
 列車の駅で売られていたコーンおかゆを食べ、俺はようやくひと息つくことができた。このまま列車を乗り継げば深セン市手前まで1時間で着く。幸い深セン市の友人と連絡が取れ、ありがたいことに友人宅で泊めてもらう事になった。  それにしても酷い目に遭った…。ジャッキー・チェンの映画に出てくるような世界を体験したかったのに、この旅自体がNG集になってしまった。 昔のドラマでよく「香港に女を売り飛ばす」だの「香港から麻薬を運び込む」だの物騒な話を聞いたが、なるほど頷ける話だ。世界的に有名な九龍城は確かに取り壊されたが、その魂はこの街に確かに息づいている。 百万ドルの夜景もディズニーランドも上海で事足りるこのご時世にあって、それこそが今なお香港を香港たらしめている「自由」というものだ。
初めての香港は、スパイシーなカレーの匂いがした。
香港島の摩天楼が遠ざかっていく。列車の窓から映る光景はいつの間にか、赤土と掘っ立て小屋の立ち並ぶ山野へと変わっていた。もうすぐ国境(同じ中国だが)の街に差し掛かる。列車を降りればすぐに出国ゲート、日本国のパスポートの出番だ。次に来るときはランタオ島まで行こう。飲茶も楽しもう。地球の歩き方をちゃんと買って行こう…。  初めての香港は、スパイシーなカレーの匂いがした。